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  地図   北緯33度54分57.73秒 東経132度49分58.71秒

  自転車 非常に困難 普通の自転車では、下りのブレーキが心配。

7−4 厳島神社(恩地)  松山市恩地
 
鳥居 大巧・若拙 1896年 8月 明治29 76才

 

 ここは奥道後から、高縄山へ登る道の途中にあります。高縄山頂には、河野氏の本城がありました。そして道後には居城湯築城がありました。ここはその間の通路です。城山のバスの終点から更に谷川沿いに一キロほど急な山道を登り、その谷川も途絶えたところに細い山道を跨ぐように、小さなお宮があります。厳しい山道ですが、武士の馬なら、全区間を一時間も掛からなかったのではないでしょうか。

河野水軍の守り神的な厳島神社の分社が此処に祀られたのは、その時代の物だと思います。

お宮から数百メートル道なりに登ると三軒ほど民家があり、高縄山頂四十丁と標識がありました。四十丁は、土地の人の足で二時間ほどだそうです。

鳥居に米山の書「大巧・若拙」がありました。この文字は、七年前南高井の正友神社の注連石に書かれているものと同じです。違いは、七年前の「大」が不自然と言ってよいほど小さく書かれていたのに、ここの「大」は大きく書かれています。少なくとも小さくはありません。

七年間に米山の心境になんらかの変化があったのか、高縄山上に立って気分が雄大になったのか、大きく見えるのは私の気の故か。

近いうちあの世で米山先生にお会いしたら、お尋ねしてみましょう。

私 「先生、正友神社の大巧はよもだですか?」

米山「けんにいよ!わりゃめんどいこと言うなや、まあ一杯飲めや」

米山先生なら、こう答えられそうです。

 

せせらぎの 音も途絶えて 嶺を分け


厳島神社のお宮。
右の林道は、猪のわさに注意という、地元猟友会の看板があった。

「大巧・若拙」の鳥居
鳥居のとお宮の間の道が登山道。左高縄山頂上迄徒歩で約三時間弱。

鳥居 右 「大巧」

鳥居 左 「若拙」