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  地図   北緯33度37分38.08秒 東経132度51分58.93秒

  自転車 非常に困難

6−5 葛城神社  久万高原町宮成

 
注連石 文明・開化 1900年 3月 明治33 80才

 

 葛城神社は、米山の石文のあるお宮では一番厳しいところにあります。さすがの米山先生もご高齢(80才)でしたので、ここは来られていないようで、書を送ってそれをこちらで石に彫ったとのことでした。

 少しでも昔の道を走ってみようと久万に一泊して、ひわ田峠から二名(にみょう)に出る道を走ったのですが、この道は自転車で行く道ではありません。傾斜が急で、未舗装で、3キロほどの砂利と落ち葉の道を全部押しました。

 葛城神社は立派なお宮ですぐ分かったのですが、お目当ての注連石は平成十七年の夏に崩壊して二代目のレプリカがありました。元の石は何処にあるのか探していたら、総代さんだと思いますが、前の家の方が本殿の横に保管していることを教えて下さいました。

 前の田んぼに面白い石がありました。総代さんの説明によると、「食力(くうりき)と大力(だいりき)が立て比べをして、食力が勝った。やはり食力は偉い」という言い伝えがあるそうです。

 まさに「民以食為天」(民は食を以って天と為す)。食べることが一番大切だということを、端的に語っている言い伝えです。

 帰りの道を教えて頂いたら、「臼杵三島神社にも米山さんの書があるはずだから寄ってごらん」とこちらも教えて頂きました。

 

 短日や ひわた峠に 薄氷


葛城神社正面からの全景

  平成18年夏、自然崩壊した元の注連石
  本殿の横に保管されていた。
  今はレプリカの二代目が立っている。
  
  丁度小学生が、グループで拓本を取っていたのだが、それが終わって足場を外したとき崩壊した。幸い怪我人が無かったのが何よりだった。  

左 食力(くうりき) 右 大力(だいりき)。
小さい食力の方が優勢勝ち。

二代目注連石の横に立つ寄付者名簿。