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  地図   北緯33度48分50.58秒 東経132度44分52.83秒

  自転車 平坦コース
 

5−13 日招八幡神社  松山市保面西1
 
注連石 文行・忠信 1904年 1月 明治37 84才

 

 孔子の教育方針の柱は、「読書」「実践」「誠実」「信義」でした。ここの注連石の文字「文行・忠信」は、論語に「子以四教、文、行、忠、信」とありました。

 「日招」の由来ですが、佐々木盛綱(鎌倉時代の武将、長門の守護)が元暦元年(1184年)この地で戦闘があったとき、勝利を目前にして日が暮れようとしている。そこで落日を招いて戦勝したという故事によるそうです。平清盛が、音戸の瀬戸の工事で落日を招き寄せた故事を思い起こさせます。まさに飛ぶ鳥をも落とし、落日をも招き寄せる権勢を象徴する物語りでしょう。

 国道56号線をよぎる立派な参道を持った立派なお宮ですが、残念ながら本殿は、近年不慮の火事で焼失してまだ復旧していません。

 古い参道には、往事を偲ばせる松の木が何本か残っています。

 

 行く秋や 手をとりあいて 松二本  子規

 日招きで 戻して欲しい 老いの春  けん

 

注連石 右 「文行」

注連石 左 「忠信」

注連石と門。
門の中央に小さく見えるお社が、焼失した仮の社殿。

国道56号線で、よぎられている参道。
車の向こうが、日招神社。
覆い被さっているのが、昔の松並木の松。

参道の一番手前から見た、日招神社。
一番奥の、こんもりした森の中にある。