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  地図   北緯33度48分19.89秒 東経132度52分53.23秒

  自転 平坦コース

4−6 三島神社(重信)  東温市樋口

 

神名石 三島神社 1892年10月 明治25 72才
注連石 天地一指・至誠無息  同上  同上  同上

 鳥居の前で、犬の散歩をしていて犬に逃げられたという男性に会いました。

 「犬は戻るなと言っても戻ってきますよ」と言う私の言葉に、「それもそうですね」と私との雑談に付き合ってくれました。

 この神社は、志津川、西岡、樋口の三部落にあったお宮が合祀された村社だそうです。一寸面白かったのは、(面白いと言っては悪いかな・・・)約40年前、この近くにあった米山の道標が何者かに盗まれたというのです。昭和25年に山本発次郎がこの辺を訪れて、米山ブームに火を付けています。昭和37年頃この辺で国道11号線の大掛かりな整備工事をしています。石の柱を持ち去った犯人は、工事力を持った人でしょう。その時はそう思いました。

 雑談をしているうちに、犬もいつの間にか男性の横で尻尾を振っていました。

 後で調べたところ、注連石の字句「天地一指」は荘子の斉物論に、「至誠無息」は中庸の右第二十五章にありました。(至誠息むなしは、至誠が永遠であること)。天地一指は、客王神社に同じ字句がありますので、そちらで紹介させて頂きます。

 

 休耕田 犬と童が 駆け回り

 

 実はこの道標の盗難話には後日談があります。数ヶ月後偶然この近くの斎院の木交差点で、「松山札辻より四里」と書かれた道標を見つけました。飄逸な文字は、私には米山を思わせました。何故か「辻」の文字のところに傷があり、明らかに補修された跡があります。そこで私は、こう推理しました。

「道路工事の支障移転のとき誤って折損した。その補修と移転の為の期間、暫く衆人の目に見えない所に置かれた。それを盗難と誤解されたのではないか」

 だとすると、米山新発見です。あくる日早速東温市の歴史資料館を訪れました。

 残念。

 資料館の由来書によると、寛保元年(1741年)藩命により、水谷半蔵祐筆書と、はっきり書かれていました。なお後年「散逸していた物を江戸七郎が執念で探し求め接着した物である」と傷の由来も明記していました。

 


数十メートル離れた国道から遠望できる大きな神明石 

注連石「天地一指・至誠無息」
私が行ったときは、まだお正月の注連飾りが残っていた。

鳥居 右 「受天」
レプリカ

鳥居 左 「百禄」
レプリカ
斎院の木交差点にあった、「松山札辻よ四里」と書かれた道標