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  地図   北緯33度47分11.79秒 東経132度48分40.17秒

2−6 正友神社  松山市南高井町  (せいゆう神社)

 
注連石 大巧・若拙 1889年10月 明治22 69才
神名石 正友神社 1890年12月 明治23 70才


 

老子の中に、こんな言葉が有りました。「大直若屈、大巧若拙、大弁若訥」。

 大体の意味は、「真っ直ぐに生きる者は屈する、真に巧みな物は拙く見える、雄弁は訥弁に聞こえる」こんなものでしょうか。

 大きな注連石の右側に、「大巧」が小さく書かれていました。自らを「大巧」と呼ぶのは気が差したのか、不自然に敢えて小さく書いたのは「よもだ」か。

 「よもだ」は伊予弁で、直訳したらおふざけですが、軽妙洒脱、おおらかという意味合いがつよい。よもだこそ伊予人の真骨頂で、正岡子規も秋山兄弟も大よもだです。

 それと伊予の人は「えーかっこし」(見栄っ張り)を嫌います。小さく「大巧」と書いたのは、米山にもかなり屈折した自意識があったのではないでしょうか。

 「わいの字を分かる奴が居るか」飲んだくれて下手な字を書いたべーやんが、評価を後世に託したメッセージです。

 

 注連石に 鴻鵠の意気 刻みつけ

 


注連石 右 「大巧」

注連石 左 「若拙」
 
地図

 神社正面の道を、重信川の土手へ向かって突き当たりの左側、通称お旅所と呼ばれる一角にあります。
 こんなに離れたところに神名石があるということは、昔は立派な参道がある大きなお宮だったのでしょう。今でもかなり大きい。