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  地図   北緯33度48分15.04秒 東経132度48分32.58秒

  自転車 平坦コース

1−6 軍森神社  松山市来住町    「いくさもり神社」 来住町=きしちょう

 
神名石 村社・軍森神社 1891年 9月 明治24年 71才
鳥居 奉献 1898年10月 明治31年 78才


 正平19年(1364年)讃岐の国で、南朝に降った細川清と兄北朝の細川頼春と同族の争いが起こります。翌正平20年(1365年)そのあおりを受けて、九州大宰府から伊予郡松前に上陸し進撃して来た河野通尭の大軍と、湯築城(今の道後公園)を守っていた仁木義尹が戦闘になる。

 このあたり一帯は、そのときの主戦場で元々久米原と呼ばれていましたが、以来軍森(いくさもり)と呼ばれるようになりました。神社から南へ100メートルほど行くと、小野川沿いの土手道の横に下の写真に紹介した「久米原の戦跡」と書かれた小さな石柱があります。

 

 寒椿 片手拝みの 軍森(いくさもり)

 



神名石

境内中央にある通称千人塚。敵味方の将兵の亡骸を、村人達が弔った跡です。

 今は残っていませんが、この辺の旧道を「伊予の血坂」と呼んだそうです。壮絶な戦闘を語るのに、何の形容も要りません。