TOP

  地図   北緯33度48分47.49秒 東経132度48分31.71秒

  自転車 平坦コース

1−5 三輪田家墓所  松山市鷹子町

 
墓石 三輪田元綱墓 他  不詳  不詳  不詳


 日尾八幡宮と同じ境内にあり、浄土寺に向かう道路に面した、直ぐ東(お宮に向って右)に数基の墓石があります。元綱墓、三輪田清敏墓、荻山米子墓などの墓碑銘が米山の書と言われています。

 荻山米子は米山の母ですが、明治21年91才の長寿を全うされました。明治維新王政復古のおり良妻賢母の鑑として表彰を受け、青銅一貫文を賜っています。墓碑銘の姓が荻山なのは、明治5年戸籍法が制定されるまでは、入籍という概念がなかったのではないでしょうか。

 元綱は三輪田三兄弟の三男で、明治12年(1879年)54才で亡くなりました。米山59才のときです。勤皇の志士と交わり、若いとき京都で足利尊氏の木像の首を刎ねて晒すという奇行でも知られていますが、次男高房氏と共に学問の人でもありました。当時は、弟達の方が有名だったようで、米山は弟達に刺激されて勉学に励んだ節があります。

 元綱は、明治政府で出世して外務権大正(外交官)従六位に叙せられています。高房は学習院の講師もされ、著書も多く数理に詳しかった。明治42年(西暦1909年)米山の没後一年八十八才で亡くなっています。

  浄土寺や みんまの祭り 遍路笠


 

弟元綱の墓。
一番大きい。

荻山米子。
米山の母。