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  地図   北緯33度48分53.92秒 東経132度48分07.03秒

  自転車 平坦コース

 
1−1 仙波祖大護神  松山市北久米町
漱石 奉献 1859年 6月 安政 6 39才
記念石 仙波祖大護神三百年記念 1906年 6月  明治39 86才


 境内の由緒書きによると、「仙波一族は下野国仙波庄(今の栃木県)から応永年間(1394年〜1428年)に伊予に来て河野氏に仕えた」とありました。

 豊臣秀吉の四国攻めで、主家河野氏が滅びると、仙波一族も武士を捨てます。この同族社は、徳川家康が江戸に幕府を開いた時期に出来、以来仙波一族の団結の象徴として護り神になります。

 今でもこの地区は仙波姓を名乗る人が多く、一族には、秋山好古と同期で4才年長の後に陸軍大将になった仙波太郎氏もいます。


  大護神 三百回の 春迎え

 由緒書き

 三百年記念石と本殿
 漱石